エンジニアはどこへゆくのか 〜電機メーカ開発者の悩める日々~

組み込み系エンジニア。新卒でメーカに入社してからの日々。思ったこと、考えたことを書いていく。1回転職した。

氷河期世代を生き残ったサラリーマンの働き方が異常な件。

就職氷河期世代とは、バブル崩壊後の1990年代半ばから2000年代前半に大学を出た人たちのようだ。大体自分より10歳上くらい。今の会社はけっこう大きな会社なので、今の会社に勤めている40代半ばは、就職戦線でバタバタと死にゆく同胞の屍を超えて就職を勝ち取った人達だ。

 

彼らの働き方は、はっきり言って異常である。朝も夜もない。常にラインで仕事の情報を飛ばし、早朝に電話し、深夜まで働く。しかも、残業はつけない。いくつか例をあげると、「今日中でいいから」と言われて提示直前に資料を渡してきたりする。こっちも残業枠はない。提示内だけじゃ絶対ムリな日程を組まされる。早朝に電話来る。休みの日にライン来る、など。彼らに悪気はない。それが当たり前のようだ。働きすぎて時給にするといくらよ?ってなる。

 

彼らは生き残るために前記のようなスタイルで働かなければならなかったのだろう。就職後も就活戦線を生き残った兵士たちで、さらなる戦場を渡り歩き、そこでも生き残ったのが彼らなのだから。そういえば最近退職された氷河期世代の方は、田舎に帰って両親と暮らすと言っていた。また一人戦線を離脱したのである。

 

自分はゆとり世代なので、個々の生き方を尊重する考え方が身体の隅々まで染み渡っている。大企業のサラリーマンはワークライフバランスを取れるものだと思っているし、会社もワークライフバランスを重視すると言っているではないか。そもそも大企業なんて、休みが多い、残業した分だけ残業代が出る、自分がいなくても仕事が回る、という利点があるはず(ゆとり理論ね)。

 

だから、氷河期世代の生き残りを全く理解できない。家族は大丈夫なのか、と余計な心配までしてしまう。この先もきっとわかりあえないままであろう。

 

氷河期世代はDEAD OR ALIVEである。

しかし、ゆとりにも氷河期スタイルを要求するのは迷惑な話だ。こっちには大切なライフがあるのだ。

彼は医者になり、僕はエンジニアになった。高校の同級生と飲んで考えたこと。

高校は田舎の進学校だった。既に平成の中頃になろうというのに、詰め込み型の教育方法だった。授業は8時間もあり、土曜日も出なければいけない、4当5落(今の子は知らない?)とか言っちゃいそうな昭和感のある学校だった。はっきり言って教員の質も低かった。

 

彼とは2年と3年で同級生だった。当時の成績は同じくらいだった。2人とも学年で1桁。ただ、僕は波があり、彼は安定していた。僕から見た彼の印象は、あまり効率的ではないがストイックだった。だから、本気を出せば自分のほうが賢いなどと思ったこともあった。当時から彼は医者を目指していた。彼から人を救うとかそういう思想は聞いたことがない。父親が歯科医でそれを超えるためと言っていた。自分には理解できなかった。僕は就職がいいと聞いていた工学部にでも行くかと思っていた。

 

僕は当時から睡眠障害の癖があり、成績の波も大きく、3年間の持続力はなかった。最後には成績が下降した。しかし、そこそこの大学には受かったため行くことにした。学科もいいかげんに選んだ。半導体工学だった。入った後に気づいたが全然興味を持てなかった。

 

一方の彼は受験で苦労した。なんと3浪した。しかし、医学部志望は曲げなかった。その間も半年間隔で彼と会った。彼は変わらずストイックだった。結果は出なくともいつも彼は変わらなかったし、ずっと医学部志望だった。結果、旧帝大の医学部に受かった。

 

その間、僕はキャンパスライフを謳歌していた。バイト、彼女、酒、サークル、バイク、釣り、ボーリング、ダーツ、ビリヤード、カラオケ、ギャンブル。授業には興味を持てないままで睡眠障害もひどいものだった。1年留年した。ときたま彼と会ったときにボーリングやダーツに連れて行った。彼はあまり遊ぶ時間もない状態だったので、おもしろいと言って喜んでいた。そんな彼に対して、ストイックに何かを極めるよりもこうやって人生を楽しんでいる自分のほうがうまく生きていると思っていた。

 

彼は大学生になってもストイックだった。勉強し続けていた。彼から聞いた話だが、医学部の同期は優秀で遊んでいるのに単位はしっかり取る、自分より成績もいい、とぼやいていた。しかし、彼はずっと勉強していた。麻雀はやっていたみたいだし、彼女もいたが、僕から見た彼のキャンパスライフは遊びが少ない、地味なものだった。

 

僕は大学院に行った。大学3年のときにリーマンショックがあって、就職状況が悪化したのと、もう少しモラトリアムを延長したかった。興味はないが半導体の研究をした。授業よりは面白かったので少しずつ研究を真面目にやるようになった、とは言っても学科の同期に比べれば半分もしていないと思う。相変わらずキャンパスライフを満喫していた。

 

少し僕の話が続く。修士で就職活動をしたときに、半導体にはこれ以上興味を持てないと思って、電気設計の職種で受けた。面接は得意なのでうまいこと受かった。配属先はアナログ回路設計だった。アナログ回路職人になろうと思った。分野を変えたために最初は苦労した。基礎となる知識も経験もなかった。それでも働いて3年で製品も立ち上げた。しかし、異動を告げられた。次の職場では回路設計は極められそうになかった。広く浅い技術とプレゼンや事務処理のスキルが求められた。そこでがんばってそれらを身に着けた。4年が経った。ビジネススキルは身についたものの、技術は身についてなかった。このままではいけないと転職した。また分野を変えてしまった。ソフトウェア設計者になった。基礎となる知識と経験がないため、苦労している。

 

一方、彼は医学部を卒業し、臨床医になった。寝る間もないほど忙しかったらしい。そして5年ほど働いて大学の医学部に修士として戻り、今は研究している。医学の世界は奥が深く、興味深いらしい。今でも臨床はするらしく医療事故のリスクがあるため、気を張らないといけないそうだ。前回会ったときも、翌日は休みだが気になる患者がいるから病院に行くと言っていた。

 

彼と話していて医師としての自負を感じた。彼には当然のようにプロ意識がある。一方の僕は、分野を転々と変えてきたためにいつも素人に毛が生えた程度で終わってしまう。何か専門があるのか、何の分野のプロなのかと問われたときに口ごもってしまう。恥ずかしい限りだ。

 

思えば彼はずっと積み重ねてきた。医学の分野を歩む以外の話は聞いたことがない。やっぱり医者はあきらめよう、やめよう、などと一度も聞いたことがない。対して自分は何かの分野を歩もうと決めるわけでもなく、転々としてきた。高校を出てから15年が経つ。15年間投資し続けた人と、そうでない人ではその差は明らかだろう。

 

上でも書いたが、今年、僕は転職した。そのためにまた今の分野で素人になった。ドラクエと一緒で、転職(というより転分野)はレベル1からなのだ。しかし、ドラクエと違って、痛いことに歳を取る。33歳の素人ってどうなんだ。大卒で働いていたら10年戦士だ。1つの分野でがんばってれば専門家になれるだろう。僕は今からその道を歩もうというのだからバカとしか言えない。しかも後戻りはできない。

 

彼は決して要領がいいわけではなかったし、そこはあまり変わってないのかもしれない。僕は要領がよくていろんなことを器用にできるのかもしれない。しかし、彼は医者として脳神経外科の専門家になりつつあり、僕はソフトウェアエンジニアの素人になった。

 

彼に対して勝った負けたの感情はない。他人は自分を省みる鏡なのだ。

 

最後に「ナニワ金融道」の名言を著して終わりにする。

「後悔先に立たず、オチンポ後ろに立たずでんな!」

 

転職体験って生存者バイアスがかかっている気がするので失敗例をさらす

転職してから仕事でうまくいったことがない。おまけに転職先もいまいちだ。

転職の失敗談は成功事例よりも少なく、バランスが悪い気がするので書いておく。

 

・上の人と合わない

転職のリスクはこれが大きい。直属の上司が面接官のケースはおそらく少ない。また指導員的な立場の人と合わなければ苦痛で仕方がない。現状指示をあおぐ人は性格的に合わないのかうまくコミュニケーションが取れない、求める内容もよくわからない。自分のスキル不足も大いにあるけれども合わないのは苦痛。

 

・前職と近いようで異なる業務内容

同じ組み込み業界、電機メーカーなんだけどそうは言っても製品ジャンルは広い。デジタル回路やファームウェアなど確かに近いのだが、違うもんは違う。新規の知識やスキルが必要なので大変。面接のときは面接官から丁寧に説明を受けて、近そうと思ったんだけどそれはまやかしに過ぎなかった。

 

・何をさせたいのかわからない

与えられる業務がブレブレ過ぎて自分に何をさせたいのかわからない。仕事を振る方もおそらくあまり考えてなくて、いろいろやらせて何かこいつにヒットすればいいやくらいな程度。なお工数は考えられてない。

 

・業務時間外でも仕事する空気がある

パソコン持って帰って仕事する空気がある。それ前提でスケジュール組まれてる気もする。サビ残はしたくないから苦痛。

 

・開発費ない

赤字会社で思ったより入る前に思ってたより赤字なので開発費ない。下期はホントにない。予定外の出費は1万円でも「あ?」て感じ。

 

・給料下がった

ボーナス低い。入社前に提示された額よりかなり低い。業績悪化のせいか?査定が低かったか?説明がないんだけど。モチベーション下がるに決まってる。

 

・先行き不安

会社の調子悪い。赤字だとどうせ自分ががんばってもという気になりがち。黒字(前職は黒かった)というのはそれだけで活気があった。

 

・平均年齢高い

50代ばかりなので下っ端。下は入ってこないのでずっと下っ端であろう。苦痛。

 

・(仕事うまくいかない理由に自分のせいもある→)自分には専門がない

物理工学とか、アナログ回路とか、デジタル回路とかソフトとか。ばらばらにやってきた上に前職の後半はマネジメントばかりやってたために専門技術がない。専門がないというのは分野の常識や基本的な進め方が身についてないということで、仕事を任されるととんでもないポンコツっぷりを発揮する羽目になる。自分のせいだがもちろん苦痛。

 

つまり、転職したはいいが先行き不安なのです。だからといって前職であのまま生きていこうとも思わなかったし、もっと考えて転職すべきだったのか、転職してみないとわからないものなのか。今となってはどうしようもない。

 

でも、しばらくは転職カード使いづらいし、おとなしくスキルを磨くしかないのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

福利厚生がいいと年収(というか使える金額)は100万円くらい違うんだけどあまり当てにしてはいけない。

就活生は平均給与を見て会社を比較すると思います。自分もしてました。ただやっかいなことに、給与額には表れない福利厚生というものがあるのですね。福利厚生には、家族手当、家賃補助、社員寮、保養所、年金系、持ち株、提携先企業の割引などいろいろと種類があります。それも会社によって全然違う。だから調べ尽くすのは無理じゃないかな。社員でもよくわかってないことも多い。

 

しかし、この福利厚生がつくとつかないでは実際に使えるお金が全然違ってくる。あるとないでは100万円違う場合も。ていうか自分は前職と比べて福利厚生によって、いい方に100万円くらい違っている。手当に加えてレンタカーの割引とかいろいろ合算するとね。

 

福利厚生がいい会社ってことで、けっこう期待して転職したので狙い通りといえばそうなんです。しかし。福利厚生に期待して会社を選ぶのも割とリスクあるなと思ったんです。

 

ていうのが、会社は正社員の給与を下げることはない。昇給が少なくても下がることは基本的にない。ボーナスも景気が悪くても、最低いくらっていう額は変わらない。

 

しかし、福利厚生は変わるんですね。ザクッとなくなったり、この提携はやめたやめた!ってなったり。確かに会社の経営が苦しくなってるのに福利厚生でお金ないです、って奇妙な話ですからね。

 

今ありがたく享受している福利厚生もなくなっていきそうなんで、そんなふわふわとしたものに期待してキャリアを選択するのは間違っているなあと思った次第であります。

(現職を福利厚生だけで選んだわけではありませんが魅力的だったのは確かです。)